2005.03.08 Tue G.R.L.
会社の先輩に欝状態で精神科に通ってる人がいます。
普段はまったく普通なんですが、朝起きると突然自己嫌悪に陥ることがあり、そのまま一日もしくは数日何も口にしないで家に引き篭もってしまうそうです。
仕事とか人間関係とかで悩んだりすると突然自信を無くしてしまうらしいんですが、本人いわく根本的な原因は過去の恋愛で元彼氏に酷い扱いを受けて自分を見失ったことじゃないかと。
とりあえずその人によく愚痴られるんですが、こないだなどはヘヴィ極まりないことに「死んだら楽になれるのかなあ」と自殺まで示唆されたりもしました。いつか線路にダイブするんじゃないかと心配です。
欝気味の人に対しては元気だせよとか大丈夫だよとか、ありきたりな励ましはよくないそうです。余計に悩むらしい。でも何か力になりたい、気分転換とかをさせたい、何かきっかけを与えたい。だから僕は「そういうときはロックを聴いてください」と言ってスタンスパンクスとNO USE FOR A NAMEのCDを貸しました。どういう組み合わせだよ、とか思ったけどどちらも(どちらも?)思いのほか好評でした。スタパンは歌詞が良くて、NO USEは歌詞はよく解らんけどとにかく純粋にかっこいいと聴き惚れていたそうです。
別にこれが欝の病魔の根元を絶ったとは思いませんが、こういう積み重ねは大事かなと思います。
ロックやパンクは本質的に生きる音楽だと、思う。人生を精一杯生きるからこその、生き生きとしたメッセージが詰まってると思う。もちろん内省的な破滅願望を含んだトラウマちゃんロックだってあるけど、それだって他者を排して自分だけ見つめて深刻になるという全く持って自分大好きちゃんな証拠じゃんね。
だからロックを聴けば聴くほど、そこからロックの本質に触れれば触れるほど、人生楽しくて仕方ないし自分大好きになれるし、長生きできる、少なくとも充実した人生を過ごせる、と言うのが持論です。
一方でパンクとかロックの世界では、時として若くして死んでしまい伝説となったアーティストやミュージシャンが存在する。シド・ヴィシャスやカート・コバーン、ジミ・ヘンドリックスなどなど。この矛盾は面白くもあるけど、だからこそ「ロックは生きる音楽だ」という部分を逆説的に裏付けるんじゃないかと個人的に解釈してます。
この魅力に憑り依かれて以来、僕は日々預金残高を気にしつつ音源を買い求めては聴くということを趣味としているわけですが、そのお蔭様をもちまして今ではすっかり自分のことが大好きでたまらない人間へと見事な変貌を遂げてしまいました。自分の未来の結婚相手にも「お前のことを世界で俺の次に愛してるよ」と語りかけるつもりです。
そんな僕は今現在、人生を超楽しんじゃってる。最高。欝とか自殺とかマジでありえない。
繰り返すけど、ロックは聴けば聴くほど生きる力になると僕は信じてます。僕は早死にする気も伝説になる気も更々ない、制度がどう変わろうと払った年金はきっちり元を取れるほど長生きする。だから決して偉大なロック・アーティストにはなれない。けどたくさんパンクやロックを聴いて偉大なロック・リスナーにはなれる。そうだ、なろう。今決めた。俺、偉大なロック・リスナーになろう。
100歳くらいまで余裕で生きて、10,000枚を超すCDを目の前にして、でも全部、どんな時代のどんなバンドなのか、自分がそこからどんなことを考え学んだか全部覚えてるの。「やべー、こんなにあるんじゃまだ死ねねえよ」とか言っちゃうわけ。遺産なんか一切残さねえよ、これ全部あっちに持ってくからな、が口癖。これ、すげえパンクじゃね?偉大なロック・リスナーの形じゃね?
そんな自分の未来を想像しながら、これからも良いパンクやらロックやらに出会えますように。ダイブはストレス溜めて欝状態になって線路でするもんじゃねえぜマジで。
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