2004.2.24 Tue  張られたら貼り返す

 リンクフリーという言葉に、日本人のインターネット観が隠れている。

 ご存知の方もいると思うのですが、「リンクフリー」という言葉は和製英語であり、また英語のニュアンスとしても「リンクを自由にしてくれて構いません」とは異なってきます。それ以前に、欧米サイトでは、「リンクを自由に貼ってください」という宣言もなければ、その反対である「リンクの際はご一報ください」という概念もないのです。
 インターネット(Web)とは要するに元々は国境を越えた(ドキュメント)ファイル共有空間であり、と言うとちょっと難しいですけど、とにかく「開かれた情報スペース」であることが目的だったのです。
 だから、初期からインターネット(Web)に居た人たちの認識は「リンクは自由に貼ってあたりまえ」「むしろ張られるものだ」(この違いはあとで詳述)、という感覚です。そして、欧米では今でもそれが主流です。

 なぜ日本だけがそうか。
 このサイトを見ている人はほとんど(もしかしたら全員か)日本人だと思います。その中で、とくにWebサイトを持っている人に尋ねたい。

 あなたは「情報共有空間であるインターネットに参加している」という感覚でいるか、「自分のサイトをインターネット上に持っている」という感覚でいるか。

 日本人はWebサイトを持つ人であれ持たずに閲覧するだけの人であれ、圧倒的多数で後者であると思います。Webサイトは管理人がいて成り立つ。正確に言うと個人サイトを中心として管理人が非常に見えるサイト(例えばメールを出せばリアクションがある、掲示板でレスがなされる)は「その人のサイト」という捉え方をする。
 そのくせ、大きいサイトや企業のサイトはリンクするのに尋ねたる必要ないことをなんとなく解っている。

 これが日本人のインターネット観です。

 ただ、僕はこれを批判しようってわけじゃない。むしろ、日本人的発想が好きだったりする。相手の意思を尊重してしまいがちな部分。

 いくらデジタル的に国境がなくても、言語としては国境があるわけですから、なかなか「Webは初めからリンクは当たり前、そうやって広がっていく空間だ」という「初期概念」が伝わりにくかったのは、きっと事実です。それによって日本独特のWeb文化が生まれたんだな、と思います。この感情のない1と0の電子の海で、日本人は日本人らしく、管理人が見えるサイトはそこを相手の所有物とみなし、許可を求めたりする。「あがってもよろしいでしょうか?」「リンクを貼ってもよろしいでしょうか?」

 リンクは個人として相手に「貼る」ものか。Webが広がる過程で「張られる」ものか。

 理想論としては、Webはリンクを自由にして情報を広げていくスペースだったと思う。上の例で言う「張られる」ものだと思う。でも、まあ、何でも欧米にあわせることはない。理屈じゃない部分として、日本人の精神的居心地のよさとしてはとりあえず相手の意向を伺う。
 だから、結果論として、このインターネット空間に日本的なスペースがあってもいいと思う。日本人が一番とりやすいコミュニケーションスタイルを保つ空間。ちょっと鎖国だけど、もうちょっと優しい鎖国。ナンコツ、とか呼ぶとちょっと気が利いてるかも。

 さっきも言ったけど、1と0のデジタルスペースは感情を持たないけど、「サイト管理人」という人格が見えるWebスペースのほうが僕は好きだな。

 「僕の」「サイトは」「リンクフリー」です。僕が、日本人だから。

(参考)



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