update2004.2.15

浜崎あゆみ / 歌詞パクリ疑惑


 もう随分と古い話題なんですけど。改めて。
 「あゆはぱくってなんかない!」という擁護と同じレベルで擁護するからよく読みやがれ。



 僕はこの浜崎あゆみの「Memorial Address」の音楽テキストを書くにあたって、インターネットでいろいろ検索したりファンサイトなどを回ったりして情報や話題の材料等を集めていました。そしたら至る所で、浜崎あゆみの歌詞パクリ疑惑についての話にぶち当たるんですよね。
 なんだか悲しいことに、先に触れたアルバムに関してより、これが一番の話題の材料になってしまった感じです。

 もちろん、この話は以前から2ちゃんねるでよく見ていたのですが、今回は「ファンサイトの掲示板が荒らされている」という現象のなかで幾つか見かけまして。おまえらが好きな女はこんなパクリ野郎(この場合は「野女」でしょうか)なんだぜ、という類の嫌がらせ。
 中にはホネのあるファンサイト管理者もいまして、「あゆはぱくってないんかない」と必死かつ一方的に弁護するのでなく、「議論掲示板」などを設置して真剣にパクリであるか否かを討論、検証しています。

 それはともかく。とりあえずパクり疑惑について幾つか具体例をあげると。こんな感じです。



浜崎あゆみ / ever free (2000.4.26)
それはとても晴れた日 おだやかな笑顔に 白い花を一輪そっとそえた
美しいものは ときに悲しい生き物 やがてくる別れ感じて 黒い列並べずに

Cocco / Raining (1998.3.21)
それはとても晴れた日で 泣くことさえ出来なくてあまりにも
大地は果てしなく 全ては美しく 白い服で遠くから 行列に並べずに


ちなみに「ever free」という言葉自体が故人である元X-JAPANのhideの造語だそうです。実際、インターネットで「ever free」と検索しても一般的な表現である単語の組み合わせのこのような検索結果とは違うものになり、「ever free」という単語の組み合わせが一般的な会話表現ではない印象を受けます。



浜崎あゆみ / SURREAL (2000.9.27)
一人ぼっちで感じる孤独より 二人でいても感じる 孤独の方が辛い
ZARD / マイフレンド(作詞:坂井泉水)(1996.1.8)
一人でいる時の淋しさより 二人でいる 孤独の方が哀しい



浜崎あゆみ / End of the World (2000.9.27)
私は何を想えばいい 私は何て言ったらいい
Yellow Monkey / JAM(詞:吉井和哉)(1996.2.29)
僕は何を思えばいいんだろう 僕は何て言えばいいんだろう



浜崎あゆみ / Dearest (2001.9.27)
人間(ひと)は 皆 悲しいかな 忘れゆく 生き物
Mr.Chilldren / Tomorrow Never Knows (1994.11.10)
人は 悲しいくらい 忘れてゆく 生き物


 だいたいこんな感じでしょうか。他にもインターネットを検索するとたくさん出てきますので、興味のある方は検索とかしてみると面白いかもしれません。

 確かに似てます、「似ている」と言う事実は否定できないですよね。

 それでも僕は「似ている」と「パクリ」は別物だと思います。

 「パクリ」とは初めから(多くは楽をしようとして)意図的に模倣するという手法であり、「似ている」とは頑張って一生懸命作ったものであっても今まで生きてきて影響を受けた内容を反映してしまい、結果として「似てしまった」ものだと思います。浜崎あゆみに関してであれ何に関してであれ、パクリ論争というのはこのプロセス、ある意味本人しか分からないはずの「意図的かどうか」というプロセスを無視して行われている場合が非常に多い。
 それ故、僕は「似ているね」という感想はいくらでも吐き出せますが、「パクリをしている」「していない」というどちらの立場にも立てません。

 けどね、僕は浜崎あゆみを擁護します。擁護したくもなりますよ。

 なぜなら、「パクリをしている」と主張する連中の根拠は甚だ不自然だろ。持ち出す範囲が広すぎる。

 僕が個人的に面白いな(不自然だろボケ)と思ったのは、パクリ元リストのなかにエヴァンゲリオンの歌が入っていることでした。しかも、アニメ主題歌などの有名な曲でなく、アニメに登場したキャラクターごとに作った歌か何かのようです。当然、熱烈なファンが買うサントラに収録されているようなものでして、前述したようなファンしか知らない存在に違いありません(僕の知る限りでは、ガイナックス(エヴァンゲリオン製作元の会社)は「不思議の海のナディア」でもキャラクターソング集?CDを製作・販売してました)。そのなかの「加持リョウジ」(確か無精ひげの人。劇中、誰に殺されたのかという謎は最後まで解けなかった。赤木リツコとする説が有力らしい)の歌の歌詞をパクっている、という指摘でした。
 いくらなんでもそれはないだろう。と言うよりですね、パクリ元を探すのに有名どころの「売れているからパクる」という論拠や「マイナーだからパクる」という論拠まで様々で、不自然極まりない。批判人が一人でなく複数だから仕方ないとしても、この状況で一方的に批判される浜崎あゆみは気の毒ですし、また荒らされるファンサイト管理者も純粋に楽しみたいことを邪魔されて気の毒です。

 第一、ここまで広大な歌詞の海(この表現もどっかにあるだろ)から似ているものを探せばそりゃ出てくるだろ、とか思いました。
 ここまですると逆に批判の根拠が薄れてくるのではないでしょうか。「マドンナをパクっている」とターゲットを絞ってパクリ論争を繰り広げている人にとってはこういう何でもいいからとりあえず批判みたいなアンチをどう思ってるのか興味が引かれる部分ではあります。

 僕は浜崎あゆみを擁護します。パクったどうかは解らないけど、批判されるには根拠が薄すぎる。「似ている」ということで貶められる筋合いはまったくない。



 そして、似てしまうというのはわりと当たり前の現象じゃないでしょうか。商業的であろうとなかろうと、音楽とはもともと連続体だと思います。帰納法で言うところの一つ前の事象はどこかに存在する。これは僕が大好きなパンクロック畑でも当たり前の現象です。
 歌詞が似ている、という問題からはやや離れてしまうのですが、ある人物があるバンドの影響を受けてバンドを作る。音楽性や楽曲は似ているけど、ある一部分に面白い個性があって、その部分に影響を受けたバンドがまた登場する。

 例えばニューヨーク・ドールズというオブジェクトがマルコム・マクラーレンというメソッドによって、セックス・ピストルズを生み出す。セックス・ピストルズというオブジェクトが過激な音楽パフォーマンスというメソッドによって別のフォロワーを生み出す。別のバンドを生み出す。別の価値観を生み出す。
 この繰り返しでディスチャージもニルヴァーナもしゃ乱Qも生まれた。「連続体」としてパンクロック、広い意味でロックは、音楽は、成長をする。これが面白いと思うんですよね。

 もちろん、完全に新しいものを生み出す人もいます。
 例えば邦楽の歌詞に最初に英語のフレーズを用いたのは誰か知りませんが、これを最初に思いついて実行した人は明らかに「新しい試みをした」と言えるでしょう。そしてたくさんのフォロワーが影響を受けて真似し、今日では普通になってしまっている。
 新しい試みを行ってもフォロワーが居なければそれはその人のみで終わってしまうことであり、むしろ世の中に評価されなかったと見なせる。
 僕がこのテキストで言っている「音楽は連続体」というのはこのようなことから言えることであり。そして作詞だって例外じゃない。むしろそれ以上に、発想とか手法以上に、誰かの影響を受けるものであり、また偶然誰かに似てしまうものではないでしょうか。

 そしてそれ以上に、似てしまった存在を「パクリ」として批判するのでなく、似させてしまうほどのものを生み出した方を賞賛すべきだと思います。

 自分の言葉を真似させる。自分の言葉で影響を与える。
 こんなすごい人はなかなかいない。



 そして何より重要なのが、「似ている」ことをパクリ呼ばわりされたら僕が堪らない。
 もう一度言います、僕が堪らない。

 自分でこれは良い、見習うべきものがあると感じれば僕は色んなことに影響を受ける人です。そしてそれらが言動、発言、あらゆるところに出てしまう人間です。自分が完全なオリジナルな存在だという自信がなったくないのです。だから、少しでも似ていることをパクリだと批判するほど僕は素晴らしきオリジナル人間でないので、少し似ていたらパクリ扱いされる世の中で僕はパクリ野郎と非難されずに生きていく自信がありません。

 ここまで読めば僕が書いているこの文章の意図が浜崎あゆみ擁護またはavex側擁護以上に自分擁護であることが分かって頂けると思います。

 はっきり言って、僕にとっては浜崎あゆみがパクっていようがいまいが実はどうでもいい。自分を擁護するために、浜崎あゆみを擁護したい。

 僕はRolling Stone誌のなどの雑誌の編集者のように、仕事でたくさんの音楽を聴いていて「アーティストは他のメディアから頻繁にアイデアやリリックを拝借することは何も珍しいことではない」と断言できるほどの判断材料などないですし、自分が一生懸命考えたつもりの発想や表現などが他でも使われていないか完璧にチェックすることなどできないんでとにかく許してくださいごめんなさい、すいません、お願いしますから、似ていることをパクリとしないでください。
 その代わり、パクリを批判する人がみんな浜崎あゆみファンを表現するにあたって「アユヲタ」とパクり合っていることを「偶然、似ているんですよね」と擁護しますから。

 僕は自分を擁護するために、誰でも擁護する節操のない男です。

 「あゆはぱんくってなんかない!」て擁護は浜崎あゆみを大好きな自分を擁護しているのが本質だと思います。僕のこの文章も同じレベルです。自分擁護。



 それにしても、アルバム「RAINBOW」をリリース時の「歌詞を一般公募します」というのはavexおよび浜崎あゆみ側の見事な作戦だと僕は絶賛します。どうせパクリって騒がれるんだったら、初めからパクリ元を一般から募集する。見事としか言い様がありません。これなら少なくとも「パクリだ」と批判はされませんからね。
 パクリだと批判する側も見事としか言いようがないほどオリジナリティ溢れる批判方法とか展開すればこの議論もっと面白くなると思います。浜崎あゆみが使うであろうフレーズを予想してネットにアップするとか。そして「パクられた」として訴える。著作権表示すれば親告者(たぶんever free級の造語)になれますよ。


参考、および引用
浜崎あゆみ・パクリ検証サイト[魔法のiらんど]
探偵ファイルより。関連記事 その1 その2 その3
Yahoo!ニュース ボブ・ディラン、日本の書物から歌詞を盗作か



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