update2004.2.18

Courtney Love / America's Sweetheart (2004.2.11日本盤)


 故人であるニルヴァーナのフロントマン、カート・コバーンの元妻にして、ロックビッチでありクスリ漬の母親。悲劇的・破滅的・情熱的・孤独感・ありとあらゆるロックの負の要素を詰め込んだ人生を歩んでいるようなコートニー・ラブのソロアルバム。

 日本盤の矢沢あいのジャケットが微妙とかの声もありますが、僕には「コートニー・ラブに憧れる」とかの声の方が微妙です。ていうか、まったく理解できない。どうかしてる。



 「感覚は人それぞれである」ということはもちろんです。だから、ロックに励まされたり、元気づけられるのこともあると思います。でもそれはそういう味のロックだからであって、すべてのロックにそれがあるわけじゃない。
 ロックは時として、恋人が死んでどん底に落ちようとも「それでも生きろ」というメッセージを叩き出すこともある。それは前述した「元気づけられる」とはまったくもって次元が違うものです。

 そしてそれを悲しいほどに体現しているのがコートニー・ラブ。

 コートニー・ラブに憧れるなんてセリフは、コートニー・ラブという商品とそれに付随するヒストリーしか見てないからこそ言える言葉じゃないでしょうか。

 自分の知り合いとかにさ、恋人と死に別れ、そしてクスリに塗れて裁判まで起こして、さらに子どもと引き離されるかもしれない人がいて、その人に「あなたの生き様に憧れる」とか言えるのかよ。僕にはまったく理解できません。
 結局「コートニー・ラブ」という人格を見てないんだと思います。だからそんな軽いセリフが出てくる。商業的であろうと売れ線であろうとパンクであろうと。本気でその「人格の主張」に近づこうと思ったら「憧れる」なんて感情は抱かないはずです。むしろ励ましたくなるんじゃないか。

 椎名林檎が歌ったね。「だって私はコートニーじゃない」。
 このセリフのほうが気持ち良いってもんです。

 お金を払って音源買うわけですから、ロックファンとして楽しむのはまったく問題ないと思います。でもその世界に触れたときに抱く感想が「憧れ」なんてのは安っぽいと僕は思わざるを得ません。それより、応援したいとか思うことのほうが、見守りたいと思うことのほうが、大事なんじゃないかと思います。それでも聴けよ。

 コートニー・ラブはカタログの中を生きているんじゃない。悩み苦しみ生き抜いている実在の表現者なんだから。

 矢沢あいのジャケットが甘いからって。その味覚麻痺が僕には不思議でなりません。



How'd you like to be a rock star ?
(どうしてロックスターになんか成りたがるの?)



(追記:2004.2.19)

 椎名林檎の歌詞引用について「事実誤認」との指摘メールを頂きました。椎名林檎の歌詞では「コートニーではない」という言い回しでなく、「(まるであなたがカートみたいだから、まるで私が)コートニー(みたい)じゃない」というものだそうです。実際、ネットで歌詞を検索したらそのとおりでした。申し訳ない。また、ミス指摘、ありがとうございます。
 あいまいな記憶で引用してしまった単純なミスです。ちゃんと調べてれば間違えないことでした。フレーズさえ違うしね。もうちょっと慎重にならないと。

 みっともないから消そうとも思ったんですけど、ミスはミスとして残そうと思います。もし僕の事実誤認および記憶違いで不愉快に思われた方がいましたら申し訳ありませんでした。お詫びして訂正します。




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