※ 過去の日記より抜粋です。

03/12/12 Fri     IF THE KIDS ARE UNITED

 青春パンクというのは聴いている人が青春なんです。音楽の作り手(バンド)は青春パンクという言葉が使われる前も後も、何も変わってないと考えます。

 パンクロックだろうと音楽だろうと犯罪だろうと何だろうと、いい意味でも悪い意味でも親などの保護下を離れて多用な価値観に触れる年齢層が低下しているという現象の結果、青春パンクという言葉が生まれたんじゃないでしょうか。

 そして、僕はどうもこの言葉になじむことができません。この言葉を好んで使う人(好んで批判的に使う人を含む)たちは、価値観や感想の共通化を求めているような気がしてなりません。他人の感想を聞いたりすることや、それによって自分が考えることをしないで、「これが青春なんだ!」「みんなで青春だ!」「これこそパンクだ!」というところで思考停止。これは本当に正直、なじめない。
 パンクロックの中には「青春」という言葉で表現されてないけれど、始めから若者的な主張もシンプルなラブソングもあったはずなのにね。本来、パンクとは多様性が魅了であり、価値観が交錯するのが面白いはずなのに、「サイコー!」という一言で共感してしまう青春パンク(リスナーたち)。そこは一様な世界でしかない。
 だから、僕には妙になじめない言葉なんですよね。共感も大事だけど、共感だけが大事じゃないですから。

 パンクは青春じゃないとか、青春だからパンクじゃないとか、そういう否定をする気はないですけど。1つ側面に縛られてパンクロックやパンク的考え方の面白さに気づかないのは勿体無いと思います。

 175Rが入り口でもまったく構わないから、遠藤ミチロウに辿りついてくれるといいな。



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