update2003.10.28

親切コイン



引越しのために部屋を掃除していると。机の奥から古ぼけたコインがでてきた。見覚えのあるコインだ。そしてすぐ次の瞬間、あ、と思った。確か、小学校の低学年くらいのときだっただろうか。あのときのことを思い出す。

あのとき。ボクはお母さんに頼まれたお使いの財布を落としてしまった。いくらぐらいの金額が入っていたのか解らなかったけど、あのときのボクは泣きながら必死で探した。来た道を引き返し、店のおじさんに泣きながら尋ねた。それでも見つからない。とてつもない罪を犯したような気分で、子どもなりに「死んでおわびをしよう」などと考えていた。

そんなとき。ふいにそのお兄さんはボクに声をかけた。
「ボク、もしかして落とした財布を探しているの?」
ボクはただ、コクリと頷いた。半べそだ。
「もしかして・・・これ?」
お兄さんは見覚えのある財布を見せた。間違い無い。ボクが落とした財布だ。半べそのボクの顔は、瞬間的に明るくなった。確認のための簡単なやり取りのあと、財布を受け取る。窮地を救ってくれたことにとても感謝した。そしてその大きな親切に、素直に尊敬(そんな言葉も知らない頃だったけど)の念を抱いた。
このとき、このお兄さんがボクにこのコインをくれた。これは「親切コイン」と言うそうだ。安直で、センスのかけらもない名前だと、今のボクなら思うに違いない。でも、あの頃のボクには暖かい響きを持った言葉に感じた。
お兄さんの話はこうだ。

お兄さんも、もっと小さい頃に大きな親切を受け、これを受け取ったんだよ。そして、このコインを持っている人は、誰かに親切をすると共に、このコインを渡すんだ。そして、このコインを受け取った人も、誰かに親切にする。いつからこのコインがあるか解らない。誰が始めたかも解らない。だけど、みんなでこのコインを渡し合い続けるんだ。そして世の中に、少しでも多くの親切が増えると、とっても嬉しいことじゃないか ―――

ボクはこの言葉にいたく感銘をうけ、この「親切コイン」を受け取った。そして最高に親切なことをした相手にこのコインを渡そう、と決心した。決心した直後はこのコインを持ち歩いていた。学校に行くときも、友達の家に遊びに行くときも、お母さんの買い物に付いて行くときも。いつも、誰かに親切をする瞬間を探していたのだ。だが、なかなかそんな機会はやって来ない。

一年が過ぎ、二年が過ぎた。月日に比例し、情熱は色あせる。
やがて部屋の机に入れっぱなしになり、そしてお兄さんの歳になる頃にはすっかり忘れてしまった。

何年経っただろうか。そのコインが、今でてきた。
コインをひとしきり眺める。
いつからあったか、誰が始めたかも解らない「親切コイン」。
感慨深さもあるが、どうでもいいや、という気持ちのほうが強い。

ボクはそのコインを「燃えないゴミ」の袋に捨てたあと、引越しの片付けを続けた。




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