update2004.7.17

DEAD KENNEDYS / FRESH FRUIT FOR ROTTING VEGETABLES  (1981日本盤→再販盤)

 1978年にサンフランシスコにて結成されたパンクバンドの、80年発表のファーストアルバム。アメリカのバンドでありながらこのバンド名のためにアメリカでのリリースができず、最初にイギリスで発表されついで3ヵ月後に本国アメリカにて発表、そして日本では81年に「暗殺」という邦題でリリースされた。
 このアルバムにも収録されている、「カリフォルニアは俺の物」と歌ったファーストシングル(本当は少し表記が違うのですが)「CALIFORNIA UBER ALLES」を実行して見せてサンフランシスコの市長選挙に出馬そして見事に落選したジェロ・ビアフラをヴォーカルに持つ。
 この方、最近「ROCK AGAINST BUSH Vol.1」に参加してましたよね。パンクスと言うより目立ちたがり屋じゃね?まあ似たようなものか。



 要するに、初期パンクロック界の変態です。

 上記のような、もう変態としか言いようがないパフォーマンスを見せたデッド・ケネディズ、通称デッケネ。その変態性は演奏、ヴォーカル、楽曲、全てにおいて見せ付けられるものです。もう、本当、どんだけ変態なら気が済むのか。このうねうねと変化する不思議ヴォーカルと不思議ギターの変態っぷりは一聴の価値があると思います。歌唱法が独特ですよね。
 そんな変態要素をぶちこんで作られた楽曲は、独特な暗さと無理してる明るさを持って。この解りやすいようで意味が解らないっぷりとか最高ですよ。

 78年と言ったらパンクロックとしては歴史的には成長期で人間的で例えれば思春期であり、こんな影響を受けやすく多感な時期にこんな変態を見せられたことは非常に大きい。以後、この変態に影響を受けたと発言するアメリカのバンドは後を絶ちません。
 そして、僕は彼らの登場によってロンドンを中心とするイギリスのパンクとアメリカのパンクの違いを決定付けられたんじゃないかなと思います。80年代以降に登場するアメリカのパンクバンドの一つのフォーマットを作ったんじゃないか。



 色々な所で指摘されていることですが、当時、ロンドンのパンクシーンでは政治的・ポリティカルなメッセージのバンドが多かったのに対し、アメリカではそのようなバンドは少なかったようです。デッケネはそんなアメリカのパンクシーンに政治的・ポリティカルな要素をたくさん持ち込んだバンドでした。

 ただし、自分たちは世界の中心と信じて止まないアメリカ人。自分たちしか見てません。

 つまりラッパーであれバンドであれ。最近のブッシュ大統領への批判キャンペーンを見れば解る通り、アメリカの社会批判はアメリカ自身への自己批判が多いんですよね。エミネムが小泉首相に対し「靖国いくな 年金返せ」なんて批判したなんて聞いたことないですもん。
 それに対しデッケネはグローバルに批判の目を向けてるのがちょっと違うなと思うとこであります。でもあまりこの点に関してはフォロワーが多くないように思うんですけど、やっぱり変態だからそこはちょっと、とか思われたんじゃね?自分、デッケネ先輩マジ尊敬っすよ。でも、トイレでウォッシュレットを10分浴びるのは、ちょっと。みたいな。

 とにかく。その方法は逆説的な、強烈なメッセージ(変態のクセに)。貧乏人を殺せ、子どもを殺せ、などなど過激なメッセージは、もちろん逆説的に訴えたいことがあった表れです。バンド名からすごいインパクトですよ。「デッド・ケネディ」なんて、普通のアメリカ人なら忌み嫌うものです。前述したことですけど、この逆説的な言い回し(ようするに皮肉ですよね)は以後影響を受けたバンドが多いです。ただの変態じゃございません。



 アメリカのパンク及びその周辺のロックを見るに関して重要なバンドです。あと邦題の「暗殺」を考えた人は素晴らしいね。マジでこのセンスはかっこいいと思う。




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